三浦千波さんを偲ぶ会のご報告
2026年6月21日
去る2026年6月13日(土)、東京・恵比寿の「グレイドパーク恵比寿」において、今年1月に急逝された画家・三浦千波さん(昭和50年卒)を偲ぶ会が執り行われました。
当日は、三浦さんと親交の深かった同窓生や芸術仲間、故郷・岩手ゆかりの方々など、当初の予想を大きく上回る81名もの皆様にお集まりいただきました 。
■温かな思い出に包まれた会場
会場内には、三浦さんが生涯をかけて描き続けた故郷の風景画などの作品現物が数点展示されました。白レンガとウッド調の落ち着いた空間に、彼女の代名詞ともいえる「透明感あふれる色彩」が彩りを添え、参会者は作品を前に、三浦さんの穏やかな笑顔や真摯な創作の歩みに想いを馳せていました。

■三浦千波さんの歩みを辿る
式典では、発起人代表の金子得榮氏(在京白堊会副会長)による挨拶に続き、出席者全員で黙祷を捧げ、献花を行いました。 三浦さんはかつて本会HPでも紹介された随筆「画家の中に生きる白堊魂」の中で、高校時代の美術部での活動が人生の土台となったこと、そして松本竣介や舟越保武といった偉大な先輩方の背中を追い、画家として生きる決意をしたことを綴っておられました。その強い精神は、東日本大震災で被災しながらも、アートを通じた復興に尽力し、病と闘いながら最後まで筆を置き続けた不屈の姿勢に現れていました。

■「人を惹きつけ、動かす力」を分かち合う
歓談の時間には、戸田純氏(在京白堊会会長)、新沼岩保氏(首都圏さんりく大船渡人会会長)、里神淳氏(舫いの会 代表)山本正徳氏(前宮古市長) よりお別れの言葉を頂戴しました。 会場のあちこちでは、「千波さんに声をかけてもらったことが、作品制作を始めるきっかけになった」という感謝の声が聞かれ、彼女がいかに多くの人々の背中を優しく押し、新たな一歩へと導く不思議な力を持った方であったかを、改めて全員で共有するひとときとなりました。

■感謝を込めて
会の終盤には、ご遺族を代表して妹の三浦千江美様より感謝のご挨拶をいただきました。また、ご遺族のご厚意により、三浦さんの代表作を収めたハガキセットが参会者全員に贈られました 。
なお、多くの皆様にご参会いただいた結果、会費に若干の余剰が生じました。この余剰金は、事務局よりご遺族にお渡しし、千波さんの御霊前にお供えさせていただくことをご報告いたします。

本会の開催にあたり、準備や当日の運営を支えてくださった白堊藝術祭実行委員会をはじめとするボランティアの皆様、そして三浦さんの思い出を分かち合うために集まってくださった全ての皆様に、心より厚く御礼申し上げます。
三浦さんが愛した三陸・大船渡の自然、そしてその筆に宿る「静かなやさしさと内に秘めた力強さ」は、これからも私たちの心の中で生き続けていくことでしょう。

三浦千波さんを偲ぶ会のご案内
三浦千波さんを偲ぶ会のご案内
2026年3月27日
発起人 代表 金子 得榮(友人代表 在京白堊会副会長)
戸田 純(在京白堊会 会長)
新沼 岩保(首都圏さんりく大船渡人会 会長)
里神 淳(舫いの会 代表)
紀 章(白堊藝術祭実行委員会 代表)
謹啓 春暖の候、皆様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
三浦千波さんにおかれましては、2026年1月15日、惜しまれつつご逝去されました。
三浦さんのご逝去に接し、深い哀惜の念とともに、その穏やかな笑顔と創作への真摯な歩みを偲んでおります。生涯、故郷・大船渡の自然を描き続け、震災後も筆をとり続けた姿には、静かなやさしさと、内に秘めた力強さがございました。にこやかな笑みで周囲を和ませ、多くの方々に慕われた三浦さんを、皆様とともに偲びたく存じます。
つきましては、生前ご親交のあった皆様にお集まりいただき、下記のとおり偲ぶ会を執り行うことといたしました。
ご多用のところ誠に恐縮ではございますが、何卒ご臨席賜りますようご案内申し上げます。謹白
記
日 時:2026年6月13日(土)14:00〜16:00 (受付開始 13:45)
会 場:グレイドパーク恵比寿
(〒150-0022 東京都渋谷区恵比寿南3-1-24シティスクエア恵比寿1F)
会 費 :7,500円 (受付混雑緩和のため、事前にお振込をお願いします。)
グレイドパーク恵比寿 アクセス

◾️ 東京メトロ日比谷線 恵比寿駅5番出口より徒歩2分
◾️ JR恵比寿駅 西口より徒歩5分
画家の中に生きる白堊魂
在京白堊会35年の歩み(平成16年発行)に掲載された随筆をご紹介します。
私が、はじめて盛岡一高の存在を意識したのは、昭和43年の夏、甲子園のテレビ放映、津久見戦でした。写し出される選手の姿と応援風景、解説者の言葉は、気仙地方の片隅で生活していた小学生にとっては、圧倒的なものでした。日本全国に写し出される文武に秀れた高校は、世界への窓の様に感じられました。
そして、やがて、一高の校舎のすぐ裏での下宿生活は、朝、屋上の応援歌練習の太鼓の音で始まり、夜は、真暗な校舎が、勉学に励めと責めたてるような、白堊の殿堂は、緊張と魅力に満ちたものでした。今は亡き親友の村岡さんに誘われて入部した絵画部で、初めて油絵具を扱った感触は、今でも鮮明に覚えています。放課後の美術室での勝手気ままな時間は、逆に「自由」というものをしっかり学ばせてくれました。十代後半の多感で不安に満ちた時期に、自己責任のもとですべてを決定することを求められる日々は、随分と精神力を養ってくれました。その後の人生の強い土台となり、画家になろうと決心したのもその頃です。文化祭で、図書室に飾られた松本竣介の油彩と舟越保武の彫刻の作品に直に触れ、「あ、この人達は先輩なのだ。私も画家になれるのだ」そういう思い込みができたのは、白堊の伝統という時間の流れの中に、自分も存在しているのだという自覚を持てたからではないかと思うのです。
今に至る同窓の交流は、ピアニスト、ヴァイオリニスト、彫刻家、書家、文筆家、デザイナー等芸術の分野に限らず、私の創作活動に示唆を与えてくれる強い個性と美学、人間性を備えた人達ばかりで、この幸せな交流の場で、己れを手探りしていけば、いずれ納得のいく絵画世界が、開かれ、はるかなる自己形成の道に通ずるに違いないと、確信を深めています。



