画家の中に生きる白堊魂

画家の中に生きる白堊魂

在京白堊会副会長として長年ご尽力いただき、藝術祭をはじめとする数々の活動を通じて同窓生の交流に大きく貢献された昭和50年卒 三浦千波(みうら ちなみ)様が、令和8年1月15日にご逝去されました。

ここに謹んで哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
なお、通夜および告別式はご家族のご意向により家族葬にて執り行われます。
後日、関係者による偲ぶ会が予定されております。詳細が決まり次第、改めてご案内いたします。
在京白堊会一同、静かに三浦様をお見送りしたいと存じます。

在京白堊会35年の歩み(平成16年発行)に掲載された随筆をご紹介します。

画家の中に生きる白堊魂

画家

三浦 千波(昭50卒)

 私が、はじめて盛岡一高の存在を意識したのは、昭和43年の夏、甲子園のテレビ放映、津久見戦でした。写し出される選手の姿と応援風景、解説者の言葉は、気仙地方の片隅で生活していた小学生にとっては、圧倒的なものでした。日本全国に写し出される文武に秀れた高校は、世界への窓の様に感じられました。

 そして、やがて、一高の校舎のすぐ裏での下宿生活は、朝、屋上の応援歌練習の太鼓の音で始まり、夜は、真暗な校舎が、勉学に励めと責めたてるような、白堊の殿堂は、緊張と魅力に満ちたものでした。今は亡き親友の村岡さんに誘われて入部した絵画部で、初めて油絵具を扱った感触は、今でも鮮明に覚えています。放課後の美術室での勝手気ままな時間は、逆に「自由」というものをしっかり学ばせてくれました。十代後半の多感で不安に満ちた時期に、自己責任のもとですべてを決定することを求められる日々は、随分と精神力を養ってくれました。その後の人生の強い土台となり、画家になろうと決心したのもその頃です。文化祭で、図書室に飾られた松本竣介の油彩と舟越保武の彫刻の作品に直に触れ、「あ、この人達は先輩なのだ。私も画家になれるのだ」そういう思い込みができたのは、白堊の伝統という時間の流れの中に、自分も存在しているのだという自覚を持てたからではないかと思うのです。 

 今に至る同窓の交流は、ピアニスト、ヴァイオリニスト、彫刻家、書家、文筆家、デザイナー等芸術の分野に限らず、私の創作活動に示唆を与えてくれる強い個性と美学、人間性を備えた人達ばかりで、この幸せな交流の場で、己れを手探りしていけば、いずれ納得のいく絵画世界が、開かれ、はるかなる自己形成の道に通ずるに違いないと、確信を深めています。